「住みたい街ランキング」の上位に常にランクインする憧れの街・自由が丘。
カフェ♡スイーツ♡雑貨♡犬♡ といまや全女子がキャッキャする街であることに相違ありません。が!
実は自由が丘には、現在のイメージからは想像もつかない歴史があったのです…!
⒈昔の名前は「碑衾町(ひぶすままち)」

昭和30年の駅前
自由が丘、と名前だけで相手がひれ伏すくらい威力のある響きですが、歴史を紐解くと、昔からこんなおしゃれな地名だったわけではありません。
昭和2年に現在の東急東横線が開通するまでは、この地域は竹やぶに囲まれた農村地帯でした。
その当時の地名は、自由なイメージとはほど遠い「荏原郡碑衾町(ひぶすままち)大字衾字谷畑」。
地味! めっちゃ地味! アイドルの本名が意外と地味だったときくらいの衝撃。
ちなみに、自由が丘に縁のあるアイドルといえば松田聖子さんですが(自由が丘で「フローレスセイコ」というお店を経営していた。現在休業)、そんな彼女の本名(出生名)は「蒲池法子(かまちのりこ)」。地味というより、ちょっと珍しい苗字だったことにびっくりしました。
話がそれましたが、そんな地味で素朴だった碑衾町は、同年の「自由ヶ丘学園」の設立をきっかけに「自由ヶ丘」が街の通称となり、やがて定着。
昭和4年に駅名を「自由ヶ丘駅」に改称(それまでは「九品仏駅」)、昭和7年には本格的に地名も改称。その後、昭和40年頃に「自由が丘」と表記が改定され、現在に至るのでした。
2.「自由が丘」由来の地は駐車場に…
上述の通り「自由が丘」の由来となった「自由ヶ丘学園」は、自由教育の提唱者・手塚岸衛氏によって設立されました。
彼は当初、校名を「自由学園」にしたいと考えていたものの、すでにほかの地域に同名の学校があったため断念。学校の所在地が小高い丘になっていたことから、「じゃ、『丘』をつけて『自由ヶ丘』で」と命名したのだそうです。
その自由ヶ丘学園のあった場所、つまり「自由が丘」発祥の地は現在、スーパーのピーコック横の駐車場に…。そこには、学園があったことを証明するレリーフも設置されています。

ピーコックの近くに設置されているトモエ学園の石碑
京都・三条にある新撰組の池田屋跡地がパチンコ屋になったり居酒屋になったりしてますが、それと並んで二大ガッカリ跡地に認定できそうですネ…。
ちなみに、自由ヶ丘学園は黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』の舞台だということも、余力があれば覚えて帰ってください!
3.三島由紀夫が自由が丘でボディビル
昭和初期は封建的な時代です。
そこで「自由」という言葉の開放的な雰囲気に惹かれてか、たくさんの芸術家や文化人が集まりました。
戦後の日本文学界を代表する作家・三島由紀夫もその一人。最近では又吉直樹が賞を逃したことでも記憶に新しい三島由紀夫、代表作は『潮騒』『金閣寺』『仮面の告白』など多数あり、その後いろいろあって割腹自殺したことで知られる作家です。割腹。痛そう。
で、そんな三島は30歳になる頃から肉体改造に目覚めるのですが、自由が丘に現在も営業している「ひかり街」というデパートに当時ボディビルの練習場があり、そこに三島も通っていたとか。

太鼓を叩いてるのが三島由紀夫。自由が丘での祭りでのワンシーンらしい。
自由が丘でボディビル。なおかつ三島由紀夫。いまでは到底想像も付かない取り合わせです。
そんなゴリッゴリの男臭い雰囲気が、当時の自由が丘にはあったわけなのです。
意外。めっちゃ意外。
まとめ
意外な歴史のうえに成り立つ自由が丘。なんか憎めない。芯がしっかりしているからこそ、ブレないブランド力があるのでしょう。
三島のボディに思いを馳せながら、ぜひともオシャレカフェ巡りをしてください!
基本情報
▶︎最寄駅:東急東横線・大井町線
交通の便
- 渋谷まで……約12分
- 新宿まで……約25分
- 池袋まで……約30分
▶︎平均家賃
- ワンルーム……7.97万円
- 1K・1DK……9.13万円
- 1LDK・2K・2DK……13.59万円
参考:自由が丘の賃貸物件